年商50億

   特機カテゴリーで単一機種の年商が50億に限りなく近かったのはこの機種が最初で最後ではないか?50億を超えていたら社長賞の金一封を貰えたのに・・・、管理に袖の下を渡して粉飾をすべきだったと反省している!?

DME-450のお陰

   DME-450は良くも悪くも東場の水遊び(麻雀用語)で、イーソウを飛ばしたような感じであったが思いのほか手応えがあったので、真剣にマーケット・サーベイをしてDFS-500の仕様にまとめ上げた。サンフランシスコの金門橋の北側にあった代理店シュナイダーでも有用な意見を貰った記憶だが詳細は失念。兎も角、そのDME-450を飛ばしてあったからDFS-500に行きつけたのである。

プライシングの一悶着

   人間はホトホト欲の面の皮が厚くできている。既に所定の手続きでメディアにも定価を発表してあるにも拘らず、NABでの大好評を受けて価格を上げろとの指示が下りてきた。サーベイの結果の値ごろ感を無為にする一方的な指示、こればっかりは飲めないので多いに抵抗して言い訳程度の値上げ幅に抑え込んだ。その結果が冒頭の年商50億である。歴史にタラレバなしではあるが果たして値上げしていたら50億を超えられていただろうか?

クルクル旋風

   一時期、各局のニュース映像の切り替わりがド派手なエフェクトに染まってしまったことがある。それの元凶はこのDFS-500であった。当機の主要マーケットはB&I (Business & Industry)に照準して価格もそのマーケットに合った、いわゆる値ごろ感のあるものにしてあった。それなので、局の予算からすれば端金程度だった。その性もあってか想定外のBC (Broadcast)マーケットで売れた。日本の横並び意識が働いた結果でもある。

招かざる客、神奈川県警

   ある日、菓子折を持って丁重な物腰の数名がオフィスに見えた。話し込むうちに三文週刊誌のガセネタに踊らされて調書作成に態々横浜の本庁から見えたことが分かった。無知とは恐ろしいもので、巷間あふれる如何わしいビデオをこの機材でモザイクを掛けるとある特殊な装置を通すことでモザイク消しができるとのたまうのであった。実際、そのサンプル映像も持参してあってデモしてくれた。時間をかけてトクトクと説明して懐疑は晴れた。帰りがけに調書にサインをと懇願されたが一切取り合わなかった。いやはや、有名税でした!

偶然にK先輩に遭遇

   当機のPJリーダをお願いしたK先輩に遭遇(2008.6.28)。場所は厚木市内のとあるバス停。8年振りにお会いしたが何だか若返った感じで大層元気な様子だった。PCを含め一切技術的なことに関わりを持たないようにしているとのことであった。若さを保つ秘訣かもしれません。