岬めぐり

2010.2.21 投稿 サンフランシスコ平和条約が発効した昭和27年に小学一年生だった同級生は齢を重ねもう後期高齢者である。望遠レンズのみのショットなのでやや無理な構図が多い(反省!)。

さぁー、岬めぐりに出発・出発!

最初に目に入ってきたのは「夫婦岩?」、瀬戸内海航路を走る船が背後に見える。

小豆島上空は航空路の要衝である。一度に5~6機が視界に入ることもある。

や~っと、岬の灯台が見えてきた!歩き始めてここまでの所要時間は1時間半ほど。

日曜なので沢山の釣り船で賑わっていた。

さぁー、帰るぞ~!

気持ち良さそうに飛んでいた。

東行きの船

西行きの船

この辺で歩き始めて12,000歩、駐車場まであと6,000歩、咽が渇いてきたが自販機などなし!

讃岐富士!?日本昔話に出てきそうなお山のお出迎え。もう少しで駐車場だ!トータル歩数約18,000歩、所要時間3時間弱の二十二の瞳達の岬めぐりでした。

重岩まで散歩

2009.10.12 投稿 〒761-4100 香川県小豆郡土庄町甲 2つの巨石が重なっている観光名所。一帯は大阪城築城の際の石切場の一つで、小瀬の丁場と呼ばれた。重岩の下には瀬戸内海の景色が広がる。40数年振りで重岩(かさねいわ)に行った。往復で17,300歩であった。山の頂(海抜150m)に今にも転げ落ちそうな感じで岩が重なっている。子供の時は重なりの僅かな間隙をすり抜けて写真の左側から右側へ!今日は怖くてそれはやらなかった。このpathを知っているのは獣と僅かな島民だけです。

途中の土庄港の公園ではオリーブが色づき始めていた。

海岸で見つけたサギ!

やはり平家の落ち武者がこの島にも逃れて来たようです。合戦場まで20Kmほどなので戦いの様子は見えたかも知れません?

重岩は信仰の対象で四国の最高峰「石鎚山」と縁があるようです。

高松へ向かうフェリー。遠くに瀬戸大橋が見える。

小瀬の集落、その昔、大阪城の石垣石がここからも切り出された。少子化で廃校になってしまった「戸形小学校」は写真の左上にある。第一作目の二十四の瞳の学校のシーンはこの小学校で撮影された。背景に男木島の独特の島影があれば間違いなくここで撮影されたものである。

アジ釣

2009.9.20 投稿一ヶ月ほど前にアジ釣りに映画村近くの浮き灯台付近に出かけたが坊主!今日は気合を入れなおしてリベンジ!船のオーナーともう一人の同級生の三人で10人乗り115HPで約20分掛けてアジ釣り場へ!

さやま2号は台風を避けてだろうか、池田湾に停船中であった。行きは東向きであった船首は帰りには西向きになっていた。さやま⇒狭山⇒ホンダの本社所在地?

釣り場近くまで来ると内海湾から出てきたヨットに遭遇!何時かはヨットのオーナーにと夢見ていたが、もう叶わぬ夢だ!

最初に上がったのはキス、今日も坊主かと、いや~な予感がした!

や~っと、目的のアジが釣れた!どのアジも25cm、〆て19匹上がった

オーナーもご満悦、破顔一笑!

リベンジなった!

小豆島で五目釣り

2009.5.4 投稿 5/2~5/4の3連荘で久しぶりに釣り・釣り・釣りをやった!初日・2日は徒歩で行けるポイントへ、3日目は会社の先輩のご好意で、車で30分ほどの距離にある大部港まで遠征した。 ポイントに行くには元農業集落を通り抜けて行く。見事なサボテンが道端にあった。昔、この辺で蛍狩りをしたが、今はモダンな住宅が立ち並んでいた。日本全国が金太郎飴化している!

徒歩圏のポイントは何処も「藻」が繁茂しており釣り難かった。釣果はフグまたフグのオンパレード!岬-浜-岬と繰返しながら移動して近道して帰る積りが茨の山道に迷い込んでしまって往生した!

大部港に到着、仕掛け準備中のPJさん。通常は停泊中の貨物船が居ないので釣り場は広い。連休中であったので他府県ナンバーの車が三々五々集まってきて釣り人で賑わった。

沖には多島海を象徴するようにち~いさな島が点在。釣りのポイントとして良さそうに見えた。

最初に上げたのが真鯛の子供。これは投げ釣り

PJさんは形の良いカサゴ、ボラ、アイナメ、キス(写真なし)。

2匹目のボラは大きくて仕掛けを咥えたまま糸を切って逃げた!

小豆島の風景

2009年3月14日 投稿 PCのトラブル他で遅ればせながら年末年始に撮ったのをまとめておく。一般的に知られていない醤油ブランドだがグルメの間では良く知られた「山久」。年末29日に訪ねたが生憎、工場と直売店の両方とも年末休暇に入っていた。近年はヤマロク醤油の2段仕込み醤油が全国的に有名になった。

ロッククライマーのトレーニングに格好の「人差し指岩」

体形の似た方用に撮りました。小豆島は知られていないが石材の島でもあります。

冬だが島の南面は陽光うららかであった。とんがり屋根・パワーボート何となくよさ気なフレームで切れた!!この後はオリーブ園を目指して歩きに歩いた。

島影

2008年8月19日 投稿 小豆島からのロングショット
小豆島三都半島の地蔵埼。先端付近に灯台がみえる。沖は瀬戸内海の本通!!

小豆島から見た屋島(壇ノ浦の合戦で有名)

二十四の瞳の舞台となった岬の分教場はくびれた辺り

鳴門大橋、小豆島からは他に明石大橋と瀬戸大橋が見える

明石大橋

家島諸島

二十四の瞳

2006.5.29 投稿 二十四の瞳の第一作は戦後の混乱が落ち着き始めた頃に制作された白黒映画である。当時の貧乏な日本の人達の 心の琴線に触れ大ヒットし不朽の名作となった。その後も柳の下のドジョウよろしく何作も制作された。第一作が制作されてから、かれこれ半世紀が経過した。 当時、私はその子役たちと同じ年頃で撮影現場を興味津々で徘徊していた。

背景の平和の群像の子役たちも前景の美女軍団と同じように良い年輪を重ねていることでしょう。人生とゴルフにタラレバなしと何処かのTV局が言っていた が、まさしく小豆島はこの「二十四の瞳」一作で全国区の観光地になった。彼女たちも大なり小なり、その名作の影響を受けたのは否定できない。その撮影現場 で受けた種々のインパクトが、後年ハリウッドと関係を持つ要因であたかも知れない(そんなことはないか?)。

良い事か悪いことか、島はとっくに観光地でなくなっている。日本の経済振興と裏腹の関係でしょう。静けさが戻った島で、「二十四の瞳PartII」を執筆してみようと思っている。クラスメート達のこれまでを聞き取り取材しなくては・・・。自費出版かな?

極楽とんぼ

2006.5.28 投稿 写真は会社の写真愛好家が四国山脈の讃岐側麓で最近撮ったものです。「極楽トンボ」は、毎日を何の悩みも苦しみも無く、ただ楽しく送っている輩を揶揄する言葉として使われる。この言葉の英訳を、苦し紛れに咄嗟でA Happy Dragonflyとやったら、相手が微笑んでくれた。話の状況から、言わんとした事が伝わったようだった。

船のある生活

2006.5.26 投稿 都会に居ると余程でないと船のある生活はできないし、その必要性も薄い。今朝、友人から突然の電話で釣りのお誘いがあった。写真中央の船を20年前に中古で購入、この船で3艘目とのことでした。

にわか船頭の私の操船が悪かったのか、友人が上げたのはカサゴ1尾だけ。

ポイントの千振(ちぶり)はお隣の岡山船籍の釣船で埋め尽くされていた。このポイントまでほんの10分程度で到着するが、上のような釣果では・・・。帰りに子供の頃、良く通った磯釣りのポイントに寄った。つれそうな感じがした。次回の大漁を期待して昼過ぎに帰ってきた。