年末年始

2009.1. 9 投稿  暮れの27日から正月4日まで小豆島で過ごした。先ずは出発駅、新横浜の700系!

新横を出て程無くして、車窓越しに見える定番の雪化粧をした富士山!

瀬戸大橋を渡るマリンライナー号より撮影、三角の小島の向こうに霞むのが小豆島!

手前のが鬼が島行きの「めおん」、奥のが小豆島行きの高速艇「スーパーマーリン」。数年前に小型の高速艇に置き換わり、現在は写真の高速艇は走っていません。旅客減!!

瀬戸内の船

2008.8.19 投稿 お盆休みに郷里の小豆島へ行ってきた。先ずは瀬戸内海を行き来する「船」を!「鬼が島」付近を高松方面に疾走する漁船

航路を東方に航行中の韓国のフェリー、船足は速かった!30ノット?

小豆島行きのフェリー(1000トン/20ノット)、背景は高松港

小豆島から高松へ向かう、朝一番のフェリー

ヤマハのプレジャーボートか?何時かはクラウン!?

外洋を走れそうな大型ヨット。何時かはクラウン!?

地蔵埼沖を東に向けて航行中

地蔵埼沖を西に向けて航行中

土庄港に入港直前のフェリー、正面ハッチが少し開いている。

イギリス到着

2007.10.23 投稿 10月21日午前11時、定刻通りVirgin AtlanticのDancing Queen A340-600は北ウイング26番ゲートを離れた。機内のルートマップでは最も北寄りのルートでロンドン・ヒースローに向かっていることが分った。その 理由は後から分かる・・・。
途中、何度かマップをチェックした。すると、西行きは普通は向かい風なのだが、どうしたことか殆どが追い風で向かい風の場合は10Km/時程度(非常に弱い)であった。これが幸いして予定時刻より45分ほど早く目的地に到着した。

最終目的地のBury St Edmundsまでは更に車で2時間。やっとの思いで日本時間の真夜中にホテルに到着。いわゆる民宿程度の規模の田舎の旅館です。蔦の葉は既に赤く色づいていて雰囲気がでていた。内部の写真は後ほど・・・。

その夜はインド料理店で久々にワンパイント(568cc)のラガービールを飲みカレーライスを食べた。ビールはよく冷えていた。気温は10度以下は間違いなく息が白くなっていた。

投宿している宿屋はイギリスの典型的な田舎のホテルの一つである。食堂と居間のショット。並べてある中国・日本風の陶磁器は「本物らしく見える」が多分ローカルで作られたイミテーションだと思われる。見極めには鑑定団の力を借りなければならない。

毎朝、ボリュームのあるイングリッシュ・ブレークファーストを食べているので胃がくたびれてきている感じがする。トースト、卵、ベーコン、ソーセージ、キノコ、トマト、豆、紅茶、グレープフルーツ、プルーン。明日はトーストと紅茶だけにするか!

ロンドン・パリ旅行

2005.6.23 投稿7年前の1998年に家族をイギリスとフランスへ連れて行った。丁度、パリで行われたワールドサッカーの直後でした。日程、切符の手配、ホテルの予約など全て私がやり、ツアーコンダクターの代わりもやったなぁー。

それは兎も角、下の愚息は水泳が得意でしたがまだ小学生でした。マーブルアーチのホテルに宿泊し数箇所の公園を散策した。ある公園で手漕ぎボートを見つけて乗ろうとしたら、その子はライフジャケットを着けないと駄目と言われてしまった。
からかい半分に、内の息子はめっぽう泳ぎが上手で、も少ししたらオリンピック・スイマーになるんだが・・・。そしたら、その御仁は冗談が判らないのか、”It does not matter!”ピシャリと切り返されてしまった!!上の旅程表は1998年7月20日から28日まで家族でロンドンとパリを旅行した時に作成したものです。必要な予約は全て日本からインターネットで行いました。しかし、ユーロスターだけは一番料金が安かったJTBにお願いした。オール手作りの珍道中でした。

サンフランシスコの思い出

2005.5.24 投稿 サンノゼにUSオフィスが有った関係でサンフランシスコエリアは何度も訪問した。その数だけ思い出はある訳だが・・・。サンノゼの模型屋で色々な部品を 買ったなぁー。取分けAPC製のプロペラは安く買えた。1ダースで買っても費用は知れていた。日本では高く売られていたので、お買い得感があった。

スタンフォード大とかUCLAのサンタバーバラ校などキャンパスにも行った。スタンフォードの構内に信号機とかバス停があった。金門橋の北側の袂にホライ ゾンと言うレストランがあった。味は覚えていないが、そのレストランからは黄昏時にサンフランシスコ市内が黄金に輝いて見える。その素晴らしさは感動物で す。これからサンフランへ行く計画がある人には是非そこを黄昏時に訪れてみてほしい。お勧めです!

パソコン屋、楽器屋、アップルPCのHQ、フィッシャーマンワーフなど
色々とあります。ある時、人呼んで「水を食った丸太」(何時も冷静で中々燃えない太目の人)、別名Mr. EditorのKさんとMr. PlannerのChrisと私Mr. Post Productionの3人でサンフラン市内を走っていると、後続の車がプップッとホーンを鳴らしてエライけんまくでガンを飛ばしながら赤信号で並んで止 まった。何かこちらに落ち度があったのかもしれないが、負けじと睨み返してやったら、脱兎のように逃げていった。あの時はKさんが転がしていたなぁー!そ れにしても、私の目つきは相当悪そうだ!どこの組のもんじゃ~?とは言ってないんだが・・、英語での言い方知らん!😀

サンノゼのオフィスの辺りは麦畑とかイチゴ畑だった。あの辺も大きく変わってしまった。サンフランも好きな町の一つだ。もう行く事もないだろう。最後の訪問は空港からジャガーSを転がして行った。Sはキビキビと良い感じで反応してくれた。

レストラン ホライゾン

2005.7.13 投稿 「サンフランシスコの思い出」で触れたレストラン「ホライゾン」のオーナーと繋がりがあることが偶然にも今夜わかった。

 EchoLinkと言うハム専用のインターネット電話でKA2ESA/Kenさんにサンフランシスコへ行くならそのレストランに一度は行った方が良いよと推奨しておいたことがあります。

最近、Kenさんは身内の結婚式でサンフランへ行った時、奥さんのエルシーさんとそのレストランへ行ったそうです。そしたら、そのレストランのオーナーは何とエルシーの友人のお嬢さんであることが判ったそうです。

世間は狭いと言うか何と言うか、不思議な縁を感じます。そのオーナーさんは、特別シートを用意して私を待っていてくれるとの事です。リップサービスとしても嬉しい計らいです!美味しい物を食べにそのレストランまで行ってきますか!?

フーリガンの余波

2005.5.23 投稿 サッカーのサポーターで人迷惑で暴力的な大騒ぎをする輩を確かがこう言ったと記憶している。1980年代にイギリス(イングランド)のフーリガンが競技場のスタンドに火をつけて死傷者を出す事件があった。

それから間も無く所用でスイスのモントルー(レマン湖の東端)に行った時にこの事件が起きた。日本からパリ経由だったかロンドン・ヒースロー経由だったか でジュネーブに降り、GBステッカーをリアーバンパー付近に貼り付けた濃いグリーンのボルボで高速道路をモントルーに向けて走っていた時のことです。

スルスルと追い越し車線を近寄ってくる車があった。追い越し様に、親指を下に向け拳を握り二度三度拳を上下させた。目線が会った時、間違いなく怪訝な顔をして、更にスピードを上げて猛烈な速さで遠ざかって行った。

最初何が起きたのか判らなかったが、ほんの少しの後、何が起きたのか判った。彼等の車はCHのステッカー(即ちスイスローカル)が有った。GBのフーリガ ンがやったことに対するささやかな抗議だったのです。ただ顔を良く見るとブリティッシュでなく東洋人!間違えた抗議をしてしまったので、引っ込みがつかな くなり逃げ去ったようです。😆

オクラホマ爆破事件

2005.5.17 投稿 オクラホマ爆破事件が起きたのは「1995年4月19日朝、アメリカ南西部のオクラホマ市で、連邦政府の役所が入っているアルフレッド・ミューラービルが爆破され、168人が死亡するテロ事件が起きた。」でした。

年を取ると記憶が薄れてくるが、そんな中でもこの事件のTV報道を比較的身近で見たような気がしていた。今日、思い立って「飛行記録」を調べてみた。 1995.4.5 NRT-LAX-LAS-LAX-SJO-CVG-SFO-NRT 1995.4.23 JL002/33C UA2188/14D UA2774/4F QQ901 DL632/31D DL975/10F JL001/33K 1995年4月5日JALの002便・座席33Cで成田からロサンジェルスへ、ユナイテッドの2188便・座席14Dでラスベガスへ、同2774便・座席 4Fでロスへ、QQ(何処のエアーラインか?)901便でサンフランシスコへ、デルタの632便・座席31Dでシンシナティーへ、同975便・座席10F でサンフランシスコへ、JAL001便・座席33Kで成田に4月23日戻っていた。

間違いなくその時は、シンシナティーのスポーツバーで昼間から飲んでいた様に思います。先ず、オクラホマで爆破事件との速報が、暫くして悲惨な状況が報じられていたように記憶している。

ランドマークタワーから野茂が投げる予定の球場を遠望した。仕事ではこの長い出張が一つのターニングポイントであった。この頃から強気の商売に転ずることが出来た。あれから10年も、いや10年しか経っていない!!

Change, please!

2005.4.1 投稿 イギリスへ初めて行った時の出来事です。地下鉄(イギリスではチューブとも言う)の券売機はコインしか受付けてくれませんでした。ロンドンのピカデリー サーカスから乗車しようとしたときのことです。生憎、財布にコインが見当たりません。仕方なくヨレヨレの紙幣を出しながら、

恐る恐る駅員に 「Change, please!」と教わったとおりトライしました。 ところがドッコイ!相手は澄ました顔でピン札を出してくるではありませんか・・・。さて困った!

もう一度「Change・・」と言いかけた途端に、その駅員はニヤニヤしながらコインを渡してくれました。 はい!カラカワレタのでした!!イギリス人の鬱屈した独特の精神文化については、また日を改めて書き込みましょう。